「うちてしやまむ」の意味。「撃って止めよう」ですか。古事記歌謡に三首ありま

2016-05-27 04:12
 

「うちてしやまむ」の意味。「撃って止めよう」ですか。古事記歌謡に三首あります。

みつみつし 久米の子等が 粟生には 臭韮一茎 そ根が茎 そ根芽繋ぎて 撃ちてしやまむみつみつし 久米の子等が 垣下に 植ゑし椒 口疼く 我は忘れじ 撃ちてしやまむ神風の 伊勢の海の 大石には 這ひもとほろふ 細螺の い這ひもとほり 撃ちてしやまむ

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coconekirari
No.1
2016-05-27

たぶんあっていると思うのですが、戦時中のニュアンス的に「討つまで止めない!」いわゆる玉砕的な意味で使われてたはずです。

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No.2
2016-05-28

土橋寛『古代歌謡全註釈古事記編』より。
○撃ちてし止まむ シは指示・強意の助詞。言葉どおりに口訳すれば、撃って止もうとなるが、むしろ「撃たずば止まじ」と否定的に訳するほうが原義に近い。「さ一夜《ひとゆ》も牽寝《ゐね》てむ時《しだ》や家に下さむ」(風土記11)も同じである。「撃ちてし止まむ」の主語は「久米の子」であるが、歌い手はこのあとの歌(記12)に「我」と歌われている者、つまり久米の子を率いている久米氏の首長である。ムは未来の助動詞で、話し手が自分の行為について用いる時は話し手自身の意志を表わすが、第三者の行為について用いる場合は推量を表わすことになり、聞き手について用いる場合は、命令・願望を表わす。したがって「撃ちてし止まむ」の意味は、歌い手が誰で、誰に対してこの歌を歌っているかによって違ってくるわけで、所伝のように神武天皇の歌とすれば、神武天皇が久米の子らに対して、撃つことを命ずる意になるが、久米氏の首長が宮廷儀礼の場で天皇に奏する独立歌謡として見ると、事情は異なる。もし久米氏の首長が「久米の子」を第三者として歌っているなら、ムは推量の意になるが、天皇に対しては、歌い手たる久米氏の首長と久米の子は氏族集団として一体的なものであるから、「撃ちてし止まむ」を他人事のように推量として歌うはずはなく、自分自身の意志をも重ねていると見なければならない。つまり私の部下が敵を撃ち滅ぼすでしょうということは、私がかれらを率いて必ず敵を撃ち滅ぼしますという意味でもあるのである。このあとにある来目歌では、久米氏の首長である「我」が「撃ちてし止まむ」の主語であるのは、よくそのことを示している。来目歌のあるものでは久米の子が主格となり、他の歌では久米氏の首長が主格となっているのは、両者が一体のものとして、天皇に対しているからである。

助動詞「む」の解釈が詳しいので、あえて長文を引用しました。読みにくいですが我慢して読んで下さい。

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No.3
2016-05-29

ありがとうございます。風土記歌謡との類似性が参考になりました。関連する木下正俊氏の「斯くや嘆かむ」の解釈の論文を読みました。

No.4
2016-05-30

撃って、(それから)やめよう。

相手を滅ぼしたら、戦うのをやめよう。

相手を滅ぼすまで、戦い続ける。

という意味だと考えていました。

次のようなことは良く起きませんか?
お母さん「いつまでゲームをやってるの」
私「ボスキャラを倒したら終わりにするよ」

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No.5
2016-05-30

うちてしやまんは、撃って滅ぼしてやる、と言う意味です。

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